『故郷忘れじがたく候』司馬遼太郎 著

 それは十六世紀末のことだった。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、南原城にて薩摩軍により拉致された数十人の技術者たちがいた。測量士や医師、瓦の製造者や刺繍の職人など、じつに多くのプロフェッショナルが日本へ連行されたのだが、その中に製陶をする者もいた。この物語の主人公、第十四代の沈寿官の祖である。
 以来、400年の間、鹿児島の苗代川(現在は美山という)という場所に窯をつくり、その地の土を使って美しい薩摩焼をつくり続ける一族を司馬遼太郎が綴った作品が『故郷忘れじがたく候』だ。
 当時、日本ではまだ未発達だった陶芸の技術。土と火と釉薬をつかい、美しい白薩摩の作品を産み出す彼らは、錬金術師のように見えたのだろう。島津藩から身分を保証された彼らは、その地で生き続けるために作陶にのめり込んでいく。鹿児島の土の特性を見極め、新しい釉薬を試す。朝鮮半島からやってきた職人たちは、すこしずつ鹿児島の磁場に寄り添っていくのだった。
 だが、一方でこの作品のタイトルについても考えなくてはならない。どれだけ、日本で長い時間を過ごしても、母国の言葉を少しずつ失っていっても、彼らの故郷はかわらず全羅北道南原城にあった。
 十四代沈寿官がソウル大学の招きで韓国を訪れた時のこと。日本の圧制時代に対する批判を多々耳にした彼が通訳を通して講演をした際、沈氏は学生たちに向かってこういった。
「あなた方が三十六年をいうならば」
「わたしは三百七十年をいわねばならない」
その時の学生たちの反応は、ぜひ読んで確かめて欲しい。

 前向きな両国の結節点をさがすためにも、今こそ読みなおしたい1冊だ。