『わたしが正義について語るなら』やなせたかし 著

 今年のはじめ、鹿児島県の南九州市にある知覧特攻平和会館を訪れた。以前は閑散としていたのに、その日は大入り満員。なんでも、ある特攻小説が映画化された影響で、すごい人出なのだという。
 これだけの人間を特攻平和館に呼び込むためには小説も映画も作品として何かがあったのだろう。賛否両論あるようだが、その行為に興味を持つ入口にはなっているようだ。
 だが、物語と違い現実はずっと悲痛で救いようがない惨劇だったことも、この平和館ではよくわかる。そこに美しい死はなく、無為に失われた命が残念なことに累々と降り積もっているだけなのだ。
 僕たちは、戦争も特攻も見ていない。だとしたら、経験者の声に耳を傾け、想像を膨らますことでしか、事実の輪郭を描けない。小説や映画というコンテンツは入口にこそなれ、その商品化の過程で削ぎ落とされてしまった美しくない現実を、個々人がどう捉えるべきなのか。
 やなせたかしの『わたしが正義について語るなら』を読むのがよいと思う。小学生にも読める字の大きさやルビの多さ。誰にでも読める。だが、子供たちに向かって平和と戦争の痛みについて語るやなせの言葉に、嘘もデフォルメもない。真正面から語られる渾身の平和論。正義のヒーロー、アンパンマンを産み出した彼は、「正義」という言葉を疑い、その大義で行われることの恐ろしさを知り、そして実際「正義」といわれていたものに裏切られた人間だ。
 そして、やなせの弟の千尋さんが特別攻撃隊要員だったのもよく知られた話。生前、やなさせんにお会いした時、何度か「僕よりも絵が上手で、頭のいい男だった」と戦争で亡くなった弟のことを話してくれた。