『伊作とその娘たち』上坂冬子 著

 あなたは西村伊作をしっていますか?かなり、なんともモダンで格好よい男なのです。
 文化学院の創始者としても知られる彼は、和歌山県新宮の生まれ。敬虔なクリスチャンであった彼の父の影響か語学に堪能で、海外の書籍を取り寄せては学び、一方ではとことん自由主義の気風。1908年には、欧米旅行の土産で持ち帰ったバイクを、新宮の町で乗りまわしていたという。
 叔父の大石誠之助を大逆事件で失ったあと、伊作は政治から文化のフィールドへと興味をうつす。新宮に自ら設計した洋館を造り、与謝野鉄幹、晶子夫妻や陶芸家の富本憲吉、画家の石井柏亭などを招き、文化人との交流を深めていった。
 1921年に伊作が文化学院をつくったのは、長女のアヤが小学校を卒業したのに、行かせたい女学校がなかったからだという。当初、駿河台のその土地にはホテルを建設する予定だったが、伊作は急遽、娘のための学校へ。与謝野夫妻や芥川龍之介、美濃部達吉、寺田寅彦、山田耕筰、棟方志功など、様々なジャンルの一流人が歴代の講師を務めたその学校は、当時の文部省が奨励していた教育からはずいぶん逸脱した、愉し気な場所だったようだ。
 本書『伊作とその娘たち』は、そんな西村伊作の波瀾万丈な人生を、娘たちの証言から形づくっていくもの。6人(+1人)の娘たちが語る父・伊作は、思いもよらない男の姿をあぶり出し、ウィキペディアを読んでその人を知った気になっていけないと再確認するのだ。(ちなみに+1人は佐藤淑子さんという陶芸家なのですが、彼女が7人目の娘な理由も伊作らしいものです。)
 戦時中、「天皇は神に非ず」といって不敬罪により投獄されたり、戦後は「マッカーサーに楯突くのだ」と宣言したり、何かと世間の風潮とはぶつかることが多かった独自路線の伊作。だが、娘たちの話を聞くと、それはただの破天荒ではなかったよう。一方で、その父のイズムを認め、継承する子供たちを残していったことが、伊作の最大の仕事のようにも思えた。