『菜穂子』堀辰雄 著

『風立ちぬ』というジブリ映画が好きだった。人によっては宮﨑駿の妄想を炸裂させた最後のわがままムーヴィーとあの作品を呼ぶかもしれないけれど、僕にはとても共感できた。
 そんな『風立ちぬ』だが、堀辰雄の書いた同名の小説とはずいぶん違う。もちろん、あの映画は堀辰雄の人生や作品、そして零戦の設計者といわれる堀越二郎の人生をコラージュしているわけだから、異なったものになったのは必然。だが、あの映画が好きだったと思えた人が次に手に取るべき一冊として、僕は堀辰雄の『菜穂子』を薦めたい。なぜなら、主人公の女性が放つ熱が、最も映画のそれに近いと思えたからだ。
 山麓のサナトリウムを舞台に男と女の儚い恋が描かれている点は同じ。だが、『風立ちぬ』という小説で亡くなったヒロインは「節子」という名だった。一方の、ジブリ映画で採用されたヒロイン名「菜穂子」は小説の『菜穂子』から取られている。だが、一方で『菜穂子』の主人公自身はマザコン男と凡庸な結婚生活に後悔している女だ。あの可憐な映画のイメージとはこちらもかなり違う。
 小説『菜穂子』では、彼女の元にボーイフレンドからの恋文は送られてこないし、決意して療養所から帰京しても駅で待つ人はいない。残念なことに、堀辰雄小説のヒロインたちは薄幸な女たちばかり。
 実際、堀辰雄自身も父を6歳の時に亡くし、母を関東大震災で亡くし、師匠とも呼べる芥川龍之介を自殺で亡くし、最初の妻の綾子も結婚直後に亡くしている。堀の人生には、いつだって死というものが傍らにあったのだ。そして、こういう言い方は彼に悪いかもしれないが、彼自身が自らのことを死神だと考えていても不思議ではないと僕は思う。
 そんな「死神かもしれない」自分を何とか清めようと、堀辰雄は甘く美しく透明な小説を書いたのだろう。彼の作風といえるとても静謐な文体は、祈りにも似ている。一方で、その背後にあるのは生への熱い執着。なんとか死を遠ざけ、自身が生き抜き、死んでいった者たちを成仏させ綺麗にしたいという想いが、堀のどの作品にも通低している気がしてならない。
 そしてやっと話は戻ってくるのだが、宮崎駿はその堀辰雄の奥底にあった生への放熱と死者への祈りを抽出したかったのかもしれない。映画の中の寡黙な主人公たちが、言葉少なに語る生きるための情熱。なんか、ぐっときたなあ。説明もなければ答えもない映画に困ってしまう人が近ごろ多いらしいが、こういう小説を読むところから始めてみてはどうだろう?『菜穂子』の主人公が東京行きの切符を買おうとした瞬間のエモーションに意味を求めることの無粋を知るだろう。