『さよならクリストファー・ロビン』高橋源一郎 著

 表題作を含め6作品が収録されている短編集です。震災を挟んで書かれた物語で、どの作品にも少しずつ別の物語のキャラクターやストーリーが登場します。例えば、ケストナーの『飛ぶ教室』や宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』など、読者が端々に色んな物語を感じる、感じざるを得なくなるようにあえて書いている、という作品集で、そのなかでも「さよならクリストファー・ロビン」という表題作がとにかく好きです。
 クリストファー・ロビンというと、A.A.ミルンの『クマのプーさん』に登場する男の子ですが、この物語は次の一文から始まります。
「ずっとむかし、ぼくたちはみんな、誰かが書いたお話の中に住んでいて、ほんとうは存在しないのだ、といううわさが流れた。」
 まず、自分たちが存在しないのだ、と書き出すところに僕はぐっと惹かれたわけです。世の中の虚無感、例えば、あると思っていたものが段々無くなっていくとか、信用できると思っていたものが、どんどん信じられなくなるとか、そんな「虚無的感触」は誰にでもあると思うんですが、物語のなかの彼らでさえ、自分たちの存在意義みたいなものが、疑わしくなってしまう。
でも、『クマのプーさん』の世界のみんなは、どんどん虚無に侵されていくなかで、なんとか絶望せずに世界に生きたいと願います。
「おれたちが、誰かさんが書いたお話の中の住人にすぎないのだとしたら、おれたちのお話を、おれたち自身で作ればいいだけの話さ」と言い出して、『クマのプーさん』の登場人物たちがそれぞれ毎晩、寝る前に必ず一つ物語を書くようになります。そうすると面白いことに、前の晩書いたお話の通りのことが翌日起こる。もちろん色んな人が色々書くからちょっと無茶苦茶な部分や辻褄の合わないことも起こるんだけど、そういうときはみんなで話し合いです。「地図上の統一について話し合う会議」みたいなことが開かれたり、そうやって仲良く世界の均衡が保たれていたのですが、面白いのはその後で、みんなだんだん疲れていってしまうんです。
 まず最初に疲れてしまうのが、子豚のピグレット。浮かない顔で言うんです。
「もう、なにも考えられないよ。今日は、なにも書かずに眠りたい」
 そうすると、仲間が、だめだよ、何も書かなかったら明日の君はこないんだから。そんなのわかるじゃないか。とか言うんですけど、「うるさいな。ぼくのことは、放っておいて」と。疲れてしまって何も書かなかったんでしょうね、翌日から二度とピグレットは姿を現さなかった。自分で自分の物語を書かないと存在しなくなっちゃうんですね。
 さらに、ロバのイーヨーがある晩、プーの耳元でささやきます。「プー、いままで、ありがとう」って。「なにをいいだすんだ、イーヨー」ってプーは言うんですけど、僕は馬鹿でノロマで陰気で勤勉でもないし、書いても楽しくないからもう書かない、という感じで、彼らの世界からは一人減り二人減り、あれだけ元気だと思っていたトラのティガーさえも置き手紙を残していなくなってしまう。
 最後に残ったのが、クリストファー・ロビンとプーの二人。二人でもどんどん書き続けるんですが、次第に疲弊していくわけです。二人だけで展開される物語の世界ってどんどん狭くて窮屈になっていくから。それで、最後にクリストファー・ロビンが、「プー。ぼく、もう、疲れちゃった」「だから、プー。ぼくは、今日、なにも書かずに眠ろうと思うんだ。それは、いけないことだろうか」と相談する。そうするとプーは、「きみが、そうしたいなら、そうすればいい。ぼくたちは、そんな風に生きてきたじゃないか」と書かないことを認めるんです。だけど、それでただクリストファー・ロビンが消えるのではなく、その日の夜にプーがある何かを書くことによって……。うーん、これ以上はいえない。あとは、ぜひ読んで下さい。
 この表題作は22ページだから、15〜20分くらいで読めちゃうと思うんですけど、僕は高橋源一郎さんの作品のなかでも最も透明感があるというか、とにかく好きですね。多分、この作品の前に書いた『「悪」と戦う』以来、子供の純真みたいなところに書き手としての興味が向かっている最中だったのか、震災の前に書かれたこの表題作でも前作からの透明性を引き継いでいる。一方、この短編集の後半には震災の後に書かれた幾つかの作品があるのですが、そちらは逆に3.11後の書き手のもやもやした感じが凄みとなって現れています。その変遷というか、書くべきものを小説家が確信してゆく過程を読むという意味でも興味深い短編集だと思います。

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