『外套』ゴーゴリ 著/平井肇 訳

 この小説には直接「老い」が描かれているわけではない。けれど、高校時代だっただろうか、この本を読んだ僕は思ったのだ。「年をとる」ということは、この物語の主人公の顛末を指すのだと。
 「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」というのはドストエフスキーの有名な言葉。現代から175年も遡る1840年に書かれたこの小説は、ロシア文学の根幹を担うものだといわれている。実際、「運命と人とに辱められた不幸な零落者に対する憐憫の吐露」というTHE ロシア文学的な特徴が凝縮しているこの『外套』。なんとも哀しく、それなのに不思議な魅力を今なお放ち続ける作品だ。
 主人公のアカーキイ・アカーキエウィッチは公文書の浄書以外には何の取り柄もない孤独な中年男。謙虚で勤勉だが、誰からも注目されず、尊敬されることもない貧しい公務員。そんな彼がなけなしの80ルーブリを工面して、外套を新調するというのがこの物語の骨子。読者にとっては何てことないように思えるその行為が、アカーキエウィッチにとっては生涯をかけた大決断。なんせ、内気で惨めに暮らしてきた男が、コートを新しくするのだ。彼はその出来上がりを空想するだけで、何にも代えがたい充足感を得ることができた。実際、彼が新しい外套を纏って出勤したあかつきには、同僚たちが祝いの夜会を開くまでの盛り上がりを見せる。人生で初めて他者から褒められ、承認されたアカーキエウィッチ。ところが、そのパーティの帰り道に悲劇は起こる。追い剥ぎに襲われ、その真新しい外套が盗まれてしまったのだ。警察や有力者にかけあうものの、外套は戻ってこない。そして、その事実に絶望した彼は、読者も驚くほどあっけなく死んでしまうのだ。
 死後もアカーキエウィッチは物語に登場し、彼がどんな振る舞いを見せるのかがこの小説のみどころ。ぜひ、読んで確かめてほしい。一方、冒頭で書いた「老い」に関してだが、僕は外套を失い、失意で床に伏したアカーキエウィッチが、時間の経過する一秒ごとに、驚くほどのスピードで老いていくように思えてならなかった。その引き金の重要度は実のところ当人にしか測れない。外套ひとつで損なわれてしまう人生もあるのだ。ともあれ拠りどころを失った人間は、かくも儚く生を吸いとられていくのかと僕は仰天した。「老い」という現象が、いつも暮らしている時間軸とは違った流れですすむものだと、僕はこの本の読後以来感じている。