『underwater』『9souls』によせて 2003年5月14日 text:小野島大(音楽評論家)


どうにももどかしい。

 ぼくにとってdipのヤマジカズヒデとは、長い間そういう存在だった。ありあまる才能を持ちながら、それを活かしきれない。周囲の期待や願望にあえて背を向けるような、どこか投げやりで、虚無的なたたずまい。ことに前作(99年)『Weekender』時の、さまざまな仕掛けや逃げ場を用意しながら聴き手をはぐらかし、本音を隠そうとするかのごとき仕種は、彼の音楽をいっそう聴き手から遠ざけているようで、ぼくは寂しささえ感じていたのである。

 だがこの3月、ブリーダーズのコンサート会場で偶然会ったヤマジは、それまでぼくが知る彼とはどこか異なる雰囲気を放っていた。そしてその場で渡されたニュー・アルバムのCD−Rを聴き、4月のライヴに足を運んで、それは確信に変わった。一言で言えば、ヤマジは前向きになった。ただいい音楽を作り、それをまっすぐにわれわれに届けようとしている。あの清新で瑞々しかったdipのファースト『I'll』が装飾過剰に思えるほどシンプルで自然体な音は、まちがいなく聴き手に対して大きく開かれている。ぼくらはただ、そのサイケデリックな音を慈しみ、浸り込めばいいのだ。

 ヤマジによれば、『Weekender』時のdipはバンドとしての体をなしておらず、「よくある、バンドの典型的な崩壊過程って感じ」だったという。それにはさまざまな要因があったようだが、メンバー全員が揃って演奏しているのが全16曲中4曲しかないような状況では、それも当然だし、リリース後にメジャー・ドロップ、所属事務所からも契約を解除されてしまうのもやむを得ない成り行きだったと言える。自分たちでなにもかもやっていかねばならない状況に追い込まれたことは、彼にある種の反省と自覚を促しもしたようだが、バンド内のゴタゴタは絶えず、長年活動をともにしてきたナカニシノリユキ、ナガタヤスシが次々とバンドを脱退(ナカニシは後に復帰)するなど、不安定な状況は続き、音楽的にも停滞していたようだ。にも関わらずヤマジがバンドを投げ出さなかったのは、彼の気持ちが前向きなものになりつつあった証拠だろう。「CDとか出す前はさ、誰に聴いてもらうでもなく自分からやってたじゃない? そういう原点に戻ったっていうかさ」。そして翌02年1月に現ベーシストのヨシノトランスが加入(「最初に会ったとき、あ、こいつなら、と思った」)、ラインナップが固定して、状況は一気に好転する。むしろメジャー時代以上に活発なクラブ・サーキットを繰り返すことで、バンドらしいオーガニックなグルーヴが生まれ、音もいっそう研ぎ澄まされていったのだ。「ヨシノのベースが加わると、ナカニシのドラムがすごく安定して聴こえるのね。お互いうまく補いあってる。その上で、俺が好きにできるというか。だから、いまはいいコンビネーションだよね」

 そして、ようやくヤマジは、dipは表舞台に帰ってきた。処女作『ポルノスター』(98年)でdipの楽曲が採用された縁もあり、豊田利晃監督の新作『ナイン・ソウルズ』のサントラを全面 担当(録音は昨年6月)、さらに今年に入って4年ぶりとなる待望の新作『underwater』をフィッシュマンズやバッファロー・ドーターで知られるZAKのエンジニアで制作(録音は2月)、この7月に同時リリースすることが決定したのである。

 最近のdipのライヴは、淡々とワンコードを反復し、曲が数珠繋ぎに連なっていくミニマルなサイケデリック・サウンドを展開しているが、新作にはそれが活かされている。ZAKの雰囲気作りのうまさもあり、「いつものレコードより、バンドの自然な姿が録れた」ということだが、確かにそこには、以前のようなドラマティックなダイナミクスやヒプノティックな陶酔感というよりは、もっと穏やかで、地に足のついたナチュラルで生々しい人間的感触がある。しかも重要なのは、『Weekender』時のひんやりとした孤立感、どことはなしに漂う徒労感、荒れ果 てた虚無感のようなものが払拭され、ポジティヴな生命力の波動のようなものが、確かに感じ取れることだ。それはまちがいなくバンドの好調さとヤマジの落ち着いた心境を反映したものと言える。周囲の期待と自分の指向のギャップに悩むこともあるようだが、それだけいまのヤマジにはバンドの方向性、自分がいまやるべきことがはっきり見えているようなのだ。それもバンドの状態がいいことのあらわれだろう。

 バッファロー・ドーターの大野由美子もゲスト参加した新生dipの音は、一過性の刺激こそないものの、タイムレスな輝きに満ちている。4年ぶりにじっくり対話したヤマジは、書くのがはばかられるような裏事情や、愚痴めいた話も含め、驚くほど率直で、しかも謙虚だった。それは彼のエッジが失われたのではなく、音楽をする醍醐味と厳しさを知ったということなのだと、ぼくは理解している。「前よりもバンドの音を全体として聴くようになったね。ただギターを弾きまくるだけじゃなくて、アンサンブルみたいなものを見るようになった。前はただ音がダンゴになってる感じだったけど、いまはそれぞれの音がちゃんと絡み合っている感じがある。だから、バンドであることの必然性があるというかさ。バンドで演奏するってこういうことなのかって、やっとわかった気がする。ま、続けてやってれば、少しは成長するってことじゃないの?」とヤマジは笑う。かって「聴く人にわかってもらおうとは思わない」と言い切ったヤマジの姿は、もうない。かってなく開かれたヤマジの、dipの音楽は、まったく申し分なく鮮やかに鳴っている。
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