第一章「パンツ」

 幼い頃の私の写真を見ると、いつもスカートからパンツがはみ出している。はみ出しているというか、明らかにパンツよりもスカートの方が短いのだ。後ろ姿ならまだわかるが、正面から写した写真なのにパンツが丸見えなのである。パンツを見られて恥ずかしいなんて意識も芽生えていなかった幼い日の私は、母親が構えるカメラに向かって無邪気に、そして健気に満面の笑みを送っている。

 私の母親は、田んぼや畑だらけの田舎の風景に馴染まない人だった。東京の下町で生まれ育った彼女は〝とっぽい〟青春時代を過ごした。ビリヤードのセミプロになったり、ダンパ荒らしだったり、映画俳優と恋をしたりしていたらしい。そんな彼女が田んぼだらけのこの町に来たのは芸者になるためだった。大伯母がこの町で置屋をやっており、一家離散した母は大伯母の養子に入った。数年間芸者として働き、八歳年上の堅気の父親と出会い結婚して主婦になった。主婦になっても〝とっぽい〟感覚は健在で、世間の流行にも敏感だった。六十年代にはミニスカートにヘアウィッグ。七十年代にはペイズリー柄のターバンにマキシスカートなのである。薄曇りの冬の日に田んぼで真っ白な白鷺が羽を休めているようなセンチメンタルなこの町の風景に馴染むわけがない人なのだった。

 幼少時代の私はそんな母にとって、動く着せかえ人形だったのだと思う。「今日子は足が真っ直ぐでキレイだからミニスカートが絶対にカワイイ」と、買ってくれたミニスカートをさらに自ら裾上げして超ミニスカートにしてしまう。子供用の大きなグンゼの白いパンツや、冬の防寒用の毛糸のパンツは超ミニスカートの中に収まるわけがないのであった。

第二章「パンティ」

 中学生になって、ブラジャーを着けるくらいの年頃になると途端に色気付くのが女の子である。朝シャンしたり、ドライヤーで髪を丹念にブローしたり、女の子の朝は忙しくなる。親よりも友達と買い物に行くことが多くなり、親への秘密が増えてゆく。女の子としての冒険はここから始まる。

 中学生というのは、もう子供じゃないけれど、まだ大人でもない。自分を見つめることも、将来の夢を見つけることも、恋愛を知るにもまだ少し早い。それなのに、お腹の底から沸き上がるエネルギーが強大で、そのエネルギーの向かい先が見つけられずいつも持て余していた。怖いものなんかひとつもないような気もしたし、怖いものだらけだったような気もする。生きるも死ぬも同じように捉えていて、どっちでもいいような気がしていた。今もそのくらいの年の女の子に会うと心がザワザワする。確かにそこにいるのに、向こう側が透けて見えるような儚い魅力を感じる。触ろうとすると3D映像のように何もつかめないのではないかと不安になる。その年代が持つ一過性のものだと知りながら、その時期を過ぎてしまい、完全に実写の世界で生きている今の私にとっては眩しくてたまらない。

 友達と争うようにデパートの下着売り場の「パンティ3枚よりどり980円」のワゴンの中からパンティを選んでいたあの頃の私。水玉、ボーダー、花柄の三枚を選びレジに進んだ。こんな風にたくさんあるものの中からひとつひとつ自分の欲しいものを選んで生きてゆくのだ。ひとつなにかを選ぶたびに向こう側が透けて見えてしまう3Dの身体が少しずつ現実のものになってゆくような気がしていた。

第三章「黒いレース」

 十六歳でアイドル歌手としてデビューするなんて夢にも思っていなかった。人生はなにが起こるかわからない。人とは少し違った青春時代をそれなりに楽しんでいた私だが、忙し過ぎてその頃のことをあまり憶えていない。ただ、大人達の中にいつもいた。同世代の人達との交流は仕事場の控え室でお化粧をしている時のほんの僅かな時間に、同じアイドルの子達と会話をするくらいだった。大人達とばかり一緒にいるから私も早く大人になりたかった。メイクも服装も目一杯背伸びして大人になろうと努力していた。忙しいから時間はあっという間に過ぎて行く。気が付けばもうすぐ二十歳の誕生日である。「誕生日プレゼントはなにが欲しい」数年前に事務所の人から聞かれた時に「お休みが欲しいです」と答えた。それからいつも誕生日の日は仕事を入れないでくれている。誕生日の自分へのプレゼントとして黒いレースの上下お揃いの下着を買った。まだ似合わない身体だったかもしれないけれど、それを着けていると本当に大人になれたような気がして嬉しかった。二十代の私は大人になることをひとつずつ許してゆく時期だったような気がする。黒いレースの下着を着けることを許す。紫のアイシャドーを許す。恋をすることを許す。友達とお酒を飲みに行くことを許す。許したものが心の贅肉となってそれが身体にも纏わりつき、黒いレースが似合う人に少しずつ近づいていく。

第四章「四角いパンツ」

 三十代になると、二十代で身につけた贅肉が気になりだす。無駄なものばかり身につけて生きてきたのではないか? と、自分が手に入れてきたものを否定したくなる。大人になりたいと思っていた気持ちが通用しなくなり、そろそろ本当に大人にならなくちゃダメだと焦ってしまう。三十年も生きていると失敗も挫折も一通り味わう。それを人のせいに出来るほど子供じゃないから女の心は少しトゲトゲする。今まで好きで着ていた洋服がすべて似合わなくなってしまっているのではないかと不安になり、何を着たらいいのかさえわからなくなったりする。女として迷子になったような感覚がある。そうすると当たり障りのない無難なものを選ぶようになる。奇抜なデザインの服を着て誰かにツッコミを入れられても、精神力が落ちているから上手にボケる自信がない。気が付けば下着の引き出しの中もボクサータイプのヒップハングみたいにノーレース、ノーフリフリの女度が相当低い四角いパンツだらけになっている。

第五章「Tバック」

 迷いだらけの卑屈な三十代を怠けずに悩みまくって生きていると、いきなり時空が変わって今までの向かい風の中を生きている感覚から、背中を優しく押される追い風の中を歩いているような感覚に変わる。それが四十代だ。結婚どうする? 子供はどうする? そんな呪縛から一気に解き放たれ、仕事も恋愛も生きることも純粋に楽しめるようになった。なんの思惑もないから女であることも心から楽しめる。四十二歳にして私は初めてTバックのパンツを買ってみた。あんなに小さなパンツじゃ頼りなくて心細いのではないかと思っていたけれど、心の中身が強くなると、この小ささがなんとも潔くて気持ちがいいのだ。もう四角いパンツには戻れない。

 夜遊びにも酔っぱらうことにもいいかげん飽きた。そんなことでさえ頑張ってないとやりきれなかったあの日はもう過去だ。最近はゲイのマサト(もちろん独身)と、ふたつ年上のユッコ(子持ちの独身)と三人で我が家のリビングでくだらない話をしながら週末を過ごす。私達はそれを「ブス三姉妹の会」と名付けている。「私さぁ、こないだ初めてTバックのパンツ買った。Tバックはくとなんか勇気がでるんだよねぇ」と告白すると「そうだよ、今日子、解放解放。あんたは今まで禁欲的に生き過ぎてたんだよ」とユッコが言う。「あんたどんなの買ったの? 見せてみな」とマサト。ジーンズをちょっと下げて「こんなのだよ」と見せたら「甘いよぉ、どうせだったらもっとすごいの買いなさいよ。相変わらずブスねぇ」と笑われた。

 女のパンツは心のプロテクターなのかもしれない。誰かに見せるためのものじゃなく、自分を守るためのもの。自分のパンツ遍歴を思い出すと、その時々、その年齢、その境地に合ったプロテクターを知らず知らずに選んで生きてきたような気がするのだ。この先は未知の世界だが、五十代の私、六十代の私はどんなパンツをはくのだろう。四十代の今がピークでまた再びパンツは大きくなってゆくのかもしれないし、これ以上小さくしようもないのでノーパンだったりして。もっともっと先の私は寝たきりのベッドの上で紙のオムツをしているかもしれない。人生は長いのか、短いのか。今はそんなこと考えたくない。Tバックという小さなプロテクターで身を守りながらまだまだ戦いたいのだ。戦う相手はもうわかっているから怖くない。女って、いつも自分の中の女と戦っているのだと思う。四十代の私の悩みは敵と仲良くなりすぎて同化してきているということだ。そろそろこの戦争をやめて、平和な世界を目指すべきなのか? 答えはまだ出ない。