『使いみちのない風景』村上春樹 文/稲越功一 写真

 日本人(は大げさですが、少なくとも僕)のギリシャの記憶は村上春樹の『雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行』で止まっていて、国が破綻しそうって聞いても、エーゲ海に浮かぶどこかの島でワインでも飲みながら老夫婦がテレビニュースを見ることもなく見ている。→、そんな風景が思い浮かんで、どうにも切実感がなくて困ります。

『雨天炎天』の他にも、いくつか彼がギリシャのことを書いた文章があって、それは『ノルウェイの森』を書き上げた思い入れのある場所だからか、単に長く滞在しただけなのかはわからないけれど、どの文章もギリシャの青い海、眩しい太陽、のんびりとした人々、ってところは終始一貫しています。
 でも、時に起こる出来事の芽のようなものを彼は見逃しません。ある時、ギリシャのある島に向かうフェリーボートの船上デッキで、若い水兵の集団に遭遇します。若者らしく無邪気に騒ぐ集団において、一人の若者が水平線の上の方を眩しそうに、何かを探すように見ています。何かが起こりそうで何も起こらない、そんなシーン。

 それを彼は「使いみちのない風景」と呼びます。

 この本『使いみちのない風景』は、見開きごとに、旅について書いた短文と、盟友、稲越功一の写真とで構成された端正な本です。
 彼は自分のことを旅行が趣味ではなく、「住み移り」が趣味であると言います。いつかは出発点に戻る旅行と、気に入ったらそのまま住んでしまってもいい「住み移り」とは全く違うもの。確かにその感覚はわかる気がします。

 刺激的な景色を求める旅行に対して、「使いみちのない風景」の積み重ねで出来ているのが「住み移り」で、ギリシャの使いみちのない風景たちがきっと彼を惹きつけたのでしょう。