『考える人2013年秋号「厚木からの長い道のり」』村上春樹 文

 普段は本を紹介しているのだけれど、今回は珍しく雑誌の記事について書きたい。僕は新潮社の『考える人』という雑誌が好きで、よく読んでいる。そのバックナンバー、2013年秋号の巻末に寄稿された「厚木からの長い道のり」という村上春樹の文章に宿る熱についての話だ。
 これは大西順子というジャズ・ピアニストと小澤征爾という指揮者の邂逅の物語だ。読んで欲しいからあまり詳しくは書かないけれど、50歳を前にして引退を決意した大西順子の最後のライブを、厚木の小さなジャズ・クラブですし詰めになりながら、村上春樹と小澤征爾が聴いたところからこの奇跡的な話は転がってゆく。固い椅子の上で二時間ほどゆっくりと演奏に耳を傾けたマエストロ小澤は、最後の演奏を終え万雷の拍手を浴びている彼女に対して「おれは反対だ!」と立ち上がり叫んだのだ。そんな小さな箱にマエストロがいること自体に人は驚いたに違いないが、さらに輪をかけて、今この瞬間に引退したジャズ・ピアニストに対して、その撤回を要求したのだから穏やかでない。彼女は復帰を遂げるのか?
 一人の小説家を媒介にしながら、二人のまったく別分野に住む音楽家が結節点をさがす。そして、小澤が指揮をするサイトウ・キネン・オーケストラと大西の共演「松本Gig」へと向かってゆくのだが…。
 ことの顛末はさておき、僕が驚いたのはこの文章の熱量だ。赤々と焼ける鉄が叩かれ、直ぐに差し出されたようなグルーヴがある。こんなにライブ感のある村上春樹は初めてかもしれない。「やれやれ」も「わからない」もなくて、「あらゆる意味で完璧な」祝祭がここには凝縮している。